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中野神楽

2013年04月17日

南部神楽

中野神楽は「南部神楽」に分類される神楽です。
南部神楽は、幕末のころ、岩手県南部で発祥したと言われている民衆の神楽です。岩手県とは言っても旧陸前伊達藩領内に分布しています。したがって、南部神楽の南部とは「岩手県の南」という意味ではありません。また、旧盛岡藩を南部と呼びましたが南部藩の神楽ではありません。
したがって、南部神楽と呼ばれることに議論があるところのようです。宮城県では法印神楽が伝承されていましたが、それとは違う他所から来た神楽、南部藩の山伏神楽に似ていることから南部神楽と呼ばれるようになったのかも知れません。宮城県では「南部神楽」と言いますが、岩手県では「セリフ神楽」「栗原神楽」「仙台神楽」等と呼ばれます。

神楽は江戸時代は一般の人が舞うことは許されないものでした。しかし、一般の人の中でも隠れて神楽を楽しんでいた人たちがこの地域にはいたようです。幕末のころは、締め付けが弱くなり農民らが半ば公然と神楽をようになってきたようです。「南部神楽」は明治政府の神仏分離令前から民衆によってつくりあげられてきた神楽です。だんたんと大衆向きに娯楽性を強くしてきた農民たちの神楽で全国的にも珍しいものです。
南部神楽の源流は、演目はじめ衣装や道具などから岩手県に広く分布する山伏神楽であると言われています。演目としては山伏神楽の流れを汲む舞の他、劇舞という奥浄瑠璃や説話をもとにした芝居のような舞を演じます。舞人は面をつけた状態で台詞を声高に唄い、太鼓打ち(胴取り)が唱える囃子歌と、激しいリズムの中舞います。


中野神楽

中野神楽は、岩手県は一関市厳美町に生まれ神楽を習得していた者が、旧栗駒町中野田町の佐竹家に農業の手助けをしていた際に伝承された舞楽であるといわれています。明治以降、初代佐竹幸吉より始まり、現在は六代目佐竹正義氏に伝承されています。
宮城県に約90あると言われる南部神楽ですが、特に舞の形が美しさに特徴があるとのことです。

   
2013年4月仙台デスティネーションキャンペーン伊達な杜舞台での演舞


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