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早稲谷鹿踊

2013年04月27日

鹿踊と書いて「ししおどり」と読む。一人立ち八頭立ての長い腰竹を背負った「八つ鹿踊」と、多頭立ての鹿踊が宮城県には伝承されている。 早稲谷鹿踊は八頭立ての「八つ鹿踊」である。
八つ鹿踊は仙台伊達藩領内の北の方の地区で多く伝わっていたが、伝承が途絶えてしまったものも多い。 早稲谷鹿踊は岩手県大原山口部落にいた鹿踊の師匠又の介の子である喜右ェ門が伝承したといわれている。
この鹿踊には、次のような言い伝えがある。ある猟師の子が、父の殺生をいさめようと大鹿の皮をかぶり父の前に現れた。鹿の身代わりとなりその子は父に鉄砲で撃たれ息絶えた。すると、八頭の鹿がその亡骸を中心にさも回向するように踊ったという。猟師はその姿を見て悟り、以後殺生をやめ息子の追善供養のために、その時の有様を踊りにしたものであると...。
災害や疫病をはらう踊りとも言われるが本来は先祖供養の舞であり、盆には新仏のある家で鹿踊りをたのみ仏の供養をする習慣が残っている。
中立(王鹿)の外に牡鹿6、牝鹿1の計8頭、それに化け坊主1名がつき、陣形をさまざまに変え、太鼓をたたきながら激しく踊る。


   
2013年4月14日 仙台宮城デスティネーションキャンペーン 伊達な杜舞台


・早稲谷鹿踊の写真は  こちら
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