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一迫町鹿踊

2013年07月12日
慶長2年、岩倉山に狩に出かけた勘太郎という猟師が、八匹の鹿が連れ立て腹を打ち鳴らしながら楽しく踊る様子を見て創作した踊りだという。
後に、政宗公の目にとまり九曜の紋の使用が認められたという。
伊達一門の白河家から保護を受け、古くから「真坂鹿」の名があったというが、明治維新後衰退した。しかし、一迫 清水目において菅原政五郎が伝承につとめ、「清水目鹿踊」をおこし現在にいたる。真坂鹿は一時途絶えていたが、清水目鹿の流れをくんだ曽根流蔵が真坂に鹿踊の組をつくり復興させた。この、清水目鹿踊と真坂鹿踊の2団体をもって「一迫町鹿踊」としている。


   

写真は、2013年7月に行われたあやめ祭り(宮城県栗原市)における、真坂鹿踊の様子


・一迫町鹿踊(真坂鹿踊)の写真は こちら

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