金沢ささら舞
2013年09月17日
およそ四百年前、佐竹義宣が転封され秋田に入ったときに伝えられた『茂木ささら』がそのもととされる。
その「茂木ささら」は源義家が出陣(後三年合戦)の途中、現在の栃木県茂木に愛人の長寿姫をここに留めることにし、その別れの宴の際に踊られた舞が起源であると言われている。長寿姫は、後三年の合戦が終わる前に亡くなってしまったため、その霊を慰めるためささら舞が舞われてきたという。
戦国時代、佐竹氏が常陸にいた頃、北条氏(小田原)の侵入に備えて、兵士を茂木に配置していたが、退屈しのぎに「ささら」を習い覚えた。その時に士気を鼓舞するような動作が含まれていったとされる。その茂木ささらが佐竹氏とともに秋田に伝わり、長い伝承の間に変化し金沢ささらとなったといわれている。
舞は、一人立ちの獅子、三頭により舞われる。50年ほど前まで、舞は3演目伝えられ、狂言も伴っていたが現在まで伝えられているのは1演目のみである。伝わる舞の前半は攻撃前進、乱軍等を意味し、後半は百花繚乱の中、獅子が、雌獅子を中心に遊び戯れる様子を表しているといい、天下泰平・五穀豊穣を祈願するものとされる。三頭の獅子のほか、また、頭の大きな面をつけた「岡ささら」という、福禄寿をあらわす道化役が1人、唐扇を持つ者が1人、さらに、四季を表現した花笠をかぶったものが4人と笛数人、棒遣い等から構成される。
金沢ささら舞の継承について
金沢ささら舞は、昭和15年頃から演舞が途絶えていたが、昭和44年に保存会が結成され伝承につとめてきた。その後、地区の小学校・中学校の協力のもとささら舞の継承が続けられてきたが、最近地区の小学・中学校が相次いで閉校となり再び継承が困難な状況になっている。現在は保存会・地区の公民館を中心に地域の人々が協力して継承に取り組んでいこうと模索しているところである。
・金沢ささら舞の写真は
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・映像は
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※アーカイブ情報
2013年9月15日 モーションキャプチャによりささら舞の動作計測
2013年9月15日 金沢八幡宮例祭時に奉納された金沢ささら舞を3D映像で撮影