細野神楽
2014年10月16日
細野神楽の発祥、由来とも文献がなく、また神楽本もなく口語りで伝承されてきたため、定かではないが、江戸時代末期から部落で神楽を一つの娯楽として踊っていたのではないかと考えられている。明治十年代から約二十年ほど途絶えてしまい、これを憂いた佐藤伊勢松氏が若柳町新田から高橋忠右エ門という神楽師を招いて復興させ、以来佐藤氏の孫である千代美氏の代まで受け継がれていたが、戦後の青年団の手踊りの流行に再び途絶えてしまった。現在の細野神楽は、昭和四十七年に地域の青年たちの熱意と佐藤千代美氏の努力により再復興したものである。
戦前には笛も入っていたとされているが、奏者がいなくり受け継がれなかったために、今は笛は入っていない。一般に勇壮で荒い踊りが多い南部神楽の中で、優雅な舞いと哀調のある神楽歌やセリフが細野神楽の特徴で法印神楽の流れをも含んでいる。
構成は、大太鼓一名、銅拍子二名、舞手七名の十名。
曲目は、三番叟、天下舞、水神舞、八幡舞、天の岩戸開きなど約二十三項目が伝承されている。
○時期
五月一日、九月十三日、十月の祭りなどで舞われる。
○所在地
宮城県登米郡東和町米谷字細野