赤谷神楽
2014年11月20日
赤谷神楽は、出雲流南部神楽に属している。
三百年以上前(慶安元年ごろ)現在の岩手県花泉町湯田城遺跡に、四社八門を祀り、中継禅師という人が年中行事として神楽を挙行していた。その際、天下泰平、疫病退散、五穀豊穣等を祈願し、百歳翁面を被り、四方四面に縄を張り、五色の旗を飾って、太鼓、笛、鉦等を用具として、大仏の舞、剣の舞、鳥舞等を待っていたと伝えられている。
この神楽を伝承していたという花泉町湯田神楽の佐藤和三郎氏などから出雲流南部神楽の伝授を受け、石越地方の疫病退散、五穀豊穣を祈願するために、明治二十六年に橋向神楽が創設された。しかし、昭和の初期に橋向神楽が二つの神楽団に分かれ、その一つが現在の明谷神楽である。その後、独自の創作をも加えて現在にまで伝承されてきている。
構成は、囃子が太鼓一名、増え一名、手平鉦二名で、舞手は演目により一名から十五名ほどまでにもなる。
曲目は、神おろし、三番叟、西の雲(鳥舞)、水神明神の舞など二十七目以上と多岐に渡る。
時期
十二月十二日ごろ
所在地
宮城県登米郡石越町北郷字赤谷