鶯沢神楽
2014年11月27日
鶯沢神楽(うぐいすざわかぐら)として現存するものは、一時、日向神楽と部落名で呼ばれた神楽で、岩手県の達古袋神楽(南部神楽)の系統である。これらの南部神楽は、舞人自身が仮面をつけたまま「こわ」という対話の「せりふ」を言い、舞をまって所作をするのが特徴である。鶯沢の神楽は、岩手県南部のものと比較した場合、「せりふ」が一層具体的で解りやすくなり、独特の節回しも追加されている。
明治初期、或る神楽好きの女性が達古袋から師匠を招き、五歳になる息子をその師匠につけて、二年ほど習わせたのがそもそもの始まりであると伝えられている。その息子の名前を豊之助と言い、同じく胴取りを習った久五郎の二人を中心として鶯沢に神楽集団が出来た。
太平洋戦争時における混乱などで廃絶の危機を迎えたが、昭和三十八年、鶯沢町教委による郷土芸能復活後継者講習会が行われ、鶯沢神楽として復興された。
構成は、胴取りを中心に左右に手平鉦二名を配し、舞人三名の計六名で構成されることが多い。
曲目は、神降し、神歌、御神楽、三番、田村三代、羽衣など、神舞編と劇舞編合わせて二十二目以上となっている。
時期
秋祭りの頃
所在地
宮城県栗原郡鶯沢町字北郷台下