城生野神楽
2014年12月04日
城生野神楽の起源は定かではないが、江戸末期文政年の頃と推定されている。元・南部領の富村、現在の富野に城生野の富助という人が岩手県一の関、市野々に行き、山伏から神楽を習得してきて城生野の人々に伝えられたのが始まりとされている。城生野神楽は県内に流布している南部神楽の嚆矢といわれ、城生野系の神楽は岩手県南にも広がり、県内栗原郡、登米郡、遠田郡にまで流伝し、門人百数十人にも達したといわれている。
城生野の近くには八幡神社、延喜式内社である鹿島神社があり、この神楽が毎年奉納されている。往時は直接神に仕えると称し、神官による認証制度により城生野神楽の筆頭者が毎年尾松営ヶ岡八幡神社に奉仕をしていた。
神楽は神慮を崇め奉るという意味に解され、その舞も神話が基調となり内容は天の岩戸系の神話が多く、更に郷土の古伝記を脚色した狂言神楽が取り入れられた。また、鎌倉時代における源平の合戦に関する伝説も多い。
田村一、二代記が神楽として伝承えられていたのは城生野神楽のみで、他郡にあるものは城生野神楽より伝授されたものである。城生野神楽も何度か時代の波により、幾度か断絶の危機に陥ったが、県警者の努力により正統を保持している。
構成は、舞人三名、胴取一名、笛方二名、銅拍子二名の計八名。
曲目は、鶴舞、岩戸開、宝剣舞、他。
時期
九月から十一月までの秋祭りの頃
所在地
栗原郡築館町字城生野大堀