次橋神楽
2015年01月22日
次橋は松山町西北方の丘陵部谷間にある集落で、奈良時代の古窯跡や古代勧請と伝えられている葉山神社などがある静かな山村である。この地に明治初年岩手県南から「三太」という太鼓の名人が移り住み、住民に南部神楽を教えたと言われている。南部本流保柳神楽も明治初年に「三太藤助」という人物により伝えられたと言われているが、次橋の「三太」も同一人物か同族の人物と考えられている。
次橋神楽は、戦後一時期衰微したが佐々木文雄氏が中心となって伝承を守り通し、その後、十数名の若者も加わって精進を続けている。
なお松山では藩政期には毎年七月十四日に「鹿踊」が踊られていた。「茂庭家記録」などによると、上野館の広間表縁で、家老小姓頭ほか当日出仕している者や役柄の者の子や孫まで一緒に見物していたという。
構成は、大太鼓一名、手平鉦二名、舞手数名。
曲目は、三番叟、天降りの舞、八幡舞、山の神舞、岩戸開き舞など、十五演目ほど。
時期
九月九日の葉山神社の祭りなど、近隣各神社春秋祭りの時
所在地
志田郡松山町次橋字佐久伝