四日市場甚句
2015年02月19日
近世四百年程前の頃になると、鳴瀬川も輸送交易の通路として時代の脚光を浴びるようになり、伊達藩政時代、「四日市場」は加美郡地方の河港としての役割を一手に果たすようになった。記録として最初に米をここから舟で送ったのは寛永9年、今から347年前である。
雪解水の祟む季節は主に米(年貢米、買米を総称して本石米と呼んだ)や麦を先にし、その後に木材、薪炭、山菜、石等を積み出し、塩、海産物、稲井石等が荷上げされた。「四」の日毎に「市」が立ち、その商いは大いに繁昌したと云われている。
それらの荷物を運んだのが「高瀬舟」で、その大きさ百石積のものがあり、この舟の「碇泊地」が「河岸端」と呼ばれ、米やそのほかを集積した「御倉」が四棟立ち並んでいたといわれる。
「四日市場甚句」もこのような当時の姿を背景としてこそ生まれたのであり、生活とし暮らしの哀歎がこめられて唄いもてはやされたものと思われる。
●所在地
加美郡中新田町四日市場