本吉法印神楽
2015年03月06日
法印神楽の発症については定説はないが京都の加茂神社からの大和三輪流であるとか、陸中で起こり、斎部秘伝神楽が元となり、他の一流が混じたものであるなどと言われているが、宝暦年頃には陸前五郡に分布されていたようで、俗に気仙神楽や浜神楽と呼ばれ、海岸部の気仙、本吉、牝鹿郡に多く流布されている。本吉法印神楽が伝えられている志津川町荒町は、昔、折立村の中心で四十八坊の修験道場があったと言われており、その修験者たちによって神前に奉納するため伝承されている。近郷の神社の祭典日に招かれ演じているが、近頃はその回数も少なく、その一方で地域住民の祭祀も薄くなり、神官の後継者も年々減少し、法印家直伝の形式をとっているため伝承も危ぶられるようになった。志津川には、「宝性説、文化十年(一八一三年)」の奥書の型本が伝えられているが、もとは三十三番の演技種目があったとされ、かんなぎ二十四番が知られている。
構成は、胴一~二名、笛二名、銅拍子一~二名、舞人数名。
曲目は、道祖、初矢、白露、盤戸開、五矢、日本武、佐々結、叢雲、鬼門、宇賀玉、四天。
時期
招きのあった神社の祭日
所在地
本吉郡志津川町