十文字弥助ばやし
2015年04月30日
弥助ばやしの起源は元禄の頃で、現在の若柳町字川北中谷地の三浦貞雄宅に代々伝えられてきたといわれている。
弥助ばやしはかつて「内ばやし」と言われていたが、明治以降字川北元町の菊地弥助の大太鼓が優れていたので、「弥助ばやし」と呼ばれるようになったと伝えられる。
弥助夫婦の墓は、柳徳寺(若柳町字川南町浦)の境内にある。
○時期
毎年8月16日
○所在地
栗原郡若柳町字川北十文字
弥助ばやしの起源は元禄の頃で、現在の若柳町字川北中谷地の三浦貞雄宅に代々伝えられてきたといわれている。
弥助ばやしはかつて「内ばやし」と言われていたが、明治以降字川北元町の菊地弥助の大太鼓が優れていたので、「弥助ばやし」と呼ばれるようになったと伝えられる。
弥助夫婦の墓は、柳徳寺(若柳町字川南町浦)の境内にある。
○時期
毎年8月16日
○所在地
栗原郡若柳町字川北十文字