菅生神社神楽
2015年05月14日
菅生神社神楽の起源は、明治の初め頃とみられている。明治二十九年、宮城県神職管理所長の神楽検定試験に菅生区から六人全員が合格したとの記録が残されている。そして、この神楽は明治から大正・昭和と古老から若者に伝承され、昭和二十五年岩沼の竹駒神社の千百年祭の中で、東北六県神楽競技大会に出場し、優勝の栄冠を得た。
現在では、毎年菅生神社の祭典に舞を奉納し、区民にも披露されている。太平洋戦争中は、神楽をやる人々が次々と戦争に召集され、継続が困難となり一時中断を余儀なくされていた。しかし、戦後には、石垣義視氏などが復員した人々に呼びかけ、日夜練習に励んだ結果、旧に復することができた。戦後の混乱期にいち早く復活した菅生の神楽は、各地に招かれ舞を奉納し、人々に喜ばれた。
昭和二十九年二月に「菅生郷土芸能保存会」が結成され、小山勇氏が会長となった。また、菅生神社神楽は「榊流」と称されている。
構成は、大太鼓一名、つづみ大鼓一名、笛一名、舞手若干名。
曲目は、小泉熊野神社の演目と同じで、猿田彦之命舞、四方堅舞、奉幣舞、御太刀剣舞、神子舞、春日舞、弓矢舞、栄矛舞、鯛釣舞、三太刀舞、種蒔舞、獅子舞。
時期
四月十五日 菅生神社祭典
所在地
柴田郡村田町大字菅生字官