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湯元の田植踊

2015年07月02日

 湯元の田植踊の起源は明らかではないが、秋保温泉に鎮座する楽師堂で、五穀豊穣を祈願し、田の神様に奉納した手踊が始まりだと伝えられる。時を同じくして伝わったとみられる「長袋の田植踊」の大太鼓の胴に、元禄二年(一六八九年)と記されていることからみると、その前後であることが推察できる。田植踊は、かつて各部落にもあったが、今日では、馬場、長袋、湯元の三地区にのみ伝承されている。
 踊りにはそれぞれ特色を持ち、位相にも多少の相違が見られる。中でも浅葱色をした湯元の早乙女衣裳は、長袋、馬場の黒色をしたそれと違い大きな特徴となっている。
 湯本地区には、藩政時代藩主の入湯場が置かれたことは、古文献からも明らかにされているが、一説には藩主一行などの入湯の折々にも踊られてきたと伝えられている。

 構成は、早乙女が舞台の広さに応じて八名~二十名、弥十郎二名、鈴振二名、唄あげ男女数名、大太鼓一名、小太鼓二名以上、笛二名以上、化粧方三名、道具方三名、岡囃子数名。

 曲目は、弥十郎と鈴振りの祝い唄、入れ端、一本そぞろぎ、二本そぞろぎ、鈴太鼓、はね太鼓、鈴田植、あがりはか。

時期
 旧四月八日の薬師様の祭典に奉納

所在地
 名取郡秋保町湯本字枇杷原

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