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川前鹿踊り、川前剣舞

2015年07月16日

 川前は広瀬川の上流で、貞山公がよく川狩りをされたところである。この地に伝わる鹿踊と剣舞は、共に一体となって伝承されてきた。 鹿踊は昔、稲の害虫が大発生したとき、十頭の鹿が現れこれを退治し豊作を導いてくれたことから五穀豊様の踊とされ、剣舞は念仏供養のため踊られたもので、薬師十二神将の面は念仏の功力をもって四魔三障の災いを払い、頭にいただく日天、月天、半月の立物は 日月、清明、風雨を表し、やはり五穀成就を祈るものとされている。
 伊達五代藩主吉村公が領内の芸能を一堂に集めてご覧になられた折、この鹿踊と剣舞を城下第一と激賞され、特に九曜の星と絹布の着用を許されたと伝えられてきた。 記録によれば天明元年、文政十年、天保十三年、慶応元年、明治 四十三年、近くは昭和二十七年と約四十年の間隔をもって絶えようとしているものが復活してきた。

<構成>
 鹿踊『中立、狂、右脇、白銀、女鹿子等の十頭が 踊手となり、離子は唄上げ七、大太鼓一、笛三

<所在地>
 宮城城郡宮城町半芋沢字中原七

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