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富谷の田植踊

2015年08月11日

 文禄元年、藩祖政宗公が秀吉の名を受け、朝鮮の役に出陣する祭、宮床の七つ森で狩りを行い、その日の獲物である猪三百頭を軍神に供え武運を祈った。その折に郷土の踊りなどが披露された中で、原の田植踊が特に賞詞を受け、褒美として早乙女の着物の袖模様に伊達家の家紋である竹に雀の竹の葉を用いることが許されたと言われている。
 富谷の田植踊も、その年の豊穣を予祝する芸能で、もとは旧正月の二日から小正月の十四日まで部落の毎戸を踊り歩いていた。
 
 構成は、早乙女五名、弥十郎二名、唄一名、笛一名、大太鼓一名、小太鼓一名、着付一名。

 曲目は、種蒔、鈴振り、手振り、はね太鼓、作狂の五座。


時期
 小正月十四日晩
 旧三月十一日(現在は不定)雷光神社

所在地
 黒川郡富谷町原字関の川

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