新川の田植踊
2015年09月03日
新川の田植踊は、新川地区に住み着いた平家の落人が残したものと伝えられ、室町時代からこの地で踊られるようになったとされている。
小正月に、その年も豊年満作であるようにと田の神に祈願する予祝の踊りで、部落の全戸を踊り回るものであった。
内容は、踊り手が手さしをかけて神前で苗を植える動作を仕組んだもので、三時間にも及ぶ上演種目を持っている。唄は念仏調で哀調を帯びている。
この踊りは、今まで十年から十五年おきに廃れては復活しており、大正の頃までは総勢七十名位も近郷近在にも招かれて踊り、祝の膳にも供され、帰りにはお頭付きの鮭などを二・三頭の馬に積むくらいにも贈られ、見送りを受けることもあったという。
構成は、踊り子(弥十郎二、鈴振り二、早乙女六)計十名、唄い手二名、笛二名、大太鼓一名、小太鼓二名、囃子二名、着付け二名、合計二十二名。
曲目は、いれは、一本そぞろぎ、あさはか、にあがり、とびちがえ、から手拍子、銭太鼓、扇手拍子、銭太鼓くづし、二本そぞろぎ、鈴のきり、はね太鼓、さかた踊り、つるすごもり、はねこ、ささら。
以上の十六曲が伝えられているが、褒め言葉、返し言葉(十数句)なども古くから伝えられており、全部演ずるのに三時間を要する。
時期
五月十五日、十六日、旧九月十五日新川神社例祭
所在地
宮城郡宮城町新川字中村