小島の田植踊
2015年09月25日
中田町の小島、長谷山、黒沼のあたりには古くから田植踊が伝承されていたが、大方は廃絶してしまい、現在はこの小島の田植踊が現存しているのみである。
この田植踊も、県内にある他の田植踊と同じく、小正月に部落の戸毎を廻り、家内繁昌とその年の豊作を祈って踊られる予祝の行事として、永くこの地に定着していたものである。
その芸態は気仙沼辺の「ヤンドーヤーハイ」といわれる田植踊とは相似性が見られ、また仙台周辺に残るものと似ている点があるものの、やはりこの土地独特の型が座敷踊化されて定着されているものと思われ、田植踊特有の華やいだ踊りの中にも、素朴な独特の振りなども見られ、特に判人と呼ばれる弥十郎の口上などに大きな特色が見られる。
小島鎮座の雲南神社の境内に架けられてある石橋や鳥居は、明治十三年に田植踊連中への祝儀を基に造られたもので、その頃の世話人や早乙女たちの人名などが刻まれている。
この田植踊も戦時中は衰退していたが、戦後まもなく佐々木勝治ほか部落の古老たちによって、若者たちに伝授され今に継承されてきたものである。
構成は、唄い上げ二名、判人二名、早乙女七名、笛三名、大太鼓二名、中太鼓一名、小太鼓五名、着付け三名、世話人八名。
曲目は、判人、袖振り、一本扇、二本扇。
時期
四月一日、九月一日(雲南神社例祭)
六月十四日 (天王社例祭)
所在地
登米郡中田町浅水字小島