本郷布袋踊
2016年02月23日
平家が戦に敗れ、いくばくかの残党は遠く奥州まで落ちのび、山中に身をかくし人目をしのんだ。村田本郷に伝わる布袋ばやしの笛の曲は、一の谷で討死した若武者平敦盛が好んで吹いていた青葉の笛の一節と伝えられている。また昔、用明天皇が御身をやつされ奥州にお下りになられる時、五郎左というお供の者が、一行と別れ村田の上ケ沢まで来て、れんこう寺という寺の厄介になっていた折、寺の住持が舞う布袋踊りの曲始めだとも伝えられる。
江戸の中期から白鳥神社の祭りには、籠やざるを頭にのせ布袋の仮装をして町中を練り歩くようになったといい、享保の頃から山車の上に布袋人形が乗せられるようになったといわれる。今は山車屋台の上にやぐらを組み、造花や春日の山などを飾り付けて、笛や太鼓のはやしに合わせて、布袋人形をあやつるようになった。
ほかに御座敷舞として、舞い手が頭に張子の布袋頭をのせ家の中や舞台で踊っている。
○時期
10月10日
○所在地
柴田郡村田町大字村田字北沢46
※お詫び
本文中「平敦盛が好んで吹いた」と書くべき部分に、誤って「平清盛」と掲載しておりました。
大変申し訳ありませんでした。お詫びして訂正いたします。
村田町在住の方より間違いのご指摘をいただきました、本当にありがとうございます。
(東北伝統芸能アーカイブス 佐藤克美)